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史前文化

原始の祕境
考古学者の研究によると、花東縦谷一帯には豊富な史前文化遺跡が残っていると言います。現在有名なのは二箇所で、両者とも花蓮県内にあります。ひとつは瑞穂郷の舞鶴台地にあるSatokoay (舞鶴)遺跡で、もうひとつは富里郷石牌村の南側にある公埔遺跡です。
掃叭(サッパ)石柱遺跡
花蓮県瑞穂郷舞鶴村に位置し、ちょうど花東縦谷中段の掃叭舞鶴台地の西側に位置します。ここは花蓮県における重要な考古遺跡となっています。遺跡の範囲は南北に約500メートル、東西に約250メートルです。巨大な二つの石柱は省道のそばに聳えており、大きい柱の高さは約5.75メートル,小さい柱の高さは約3.99メートルあります。現在、台湾において最も大きな立石となっています。これは卑南文化のスレート石柱と酷似しているため、卑南文化の流れではないかと推測されています。
遺跡
神話伝説
遠い昔、Kiwit氏族は台東海岸に暮らしていました。ところが、ある日、巨大な地震が発生し、津波が起こり、集落のほとんどが呑まれてしまいました。そんな中、ある兄妹だけが生き残り、奇美北方の拉瓦山上へたどり着いたそうです。やがて彼らは夫婦となり、三人の子供を産みました。海水が退いた後、三兄弟はそれぞれ耕地を探しに山を下りていきました。長男のCalaoはKiwit氏族の始祖となり、Lahtarに暮らしはじめましたが、まもなく秀姑巒渓に沿って掃叭へと移り、そこに定住しました。彼が年老いたとき、この土地が肥沃でないため、再び部族の者を引き連れてLahtarへと戻りました。しかし家屋は残ったままで、これが今日の掃叭石柱になったと言われています。
公埔遺址
これは花蓮県富里郷石牌村の南側約200メートルのところにあります。小高い丘の頂上および東側の緩やかな斜面上にあります。花東縦谷中段の南側、海岸山脈の西側山麓 にあたります。遺跡の分布範囲は南北に約700メートル,東西に約250メートルで、山に囲まれた高台に位置するため、見晴らしは良好です。この遺跡は今から3000年くらい前のものと推測されており、遺跡の中で最も重要な部分は地表に立っているところで、当時のスレート石壁遺跡の構造を知ることができます。この遺跡も卑南文化に関連があると言われています。 
公埔遺址

 

 

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